“カタチ”の違う神々

“カタチ”の違う神々

[菩薩・地蔵・如来とは]

「如来」とは悟りを開いた人を指す言葉です。すなわち、悟りを開く修行中の僧を「菩薩」と呼びます。よって、真の悟りを開いた人間は「如来」になれるのです。それが仏教でいう「覚者」を意味します。
「菩薩」といえば「優しく寛大な姿」や「優しい女性像」をイメージしますが、修行時代の釈迦如来を指した言葉です。すなわち、如来の慈悲行を実践して人々を救いながら悟りを求めて修行する僧なのです。
「地蔵」の正式名は「地蔵菩薩」です。地蔵はサンスクリット語で「大地(クシティ)」と「胎内(ガルパ)」を合わせ「クシティ・ガルパ」と呼び、「大地の母胎」を意味します。大地がすべての命を育むように、苦悩の人々を無限に慈悲愛で包み救うことから「地蔵」と名付けられました。地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天という6つの世界(六道)を生きるものは輪廻すると仏教では考えています。この六道の世界に六体の地蔵が衆生を守ることから六地蔵を造立します。

一ノ宮地蔵尊

[不動明王]

「お不動さん」の愛称で親しまれています。清い水場などに建立され、いかつく怒ったような顔立ちで衆生を見渡しています。煩悩を断ち切って仏の道に精進する者に対しては、童子形の不動明王として、素直で従順な態度で支えています。

[聖観音菩薩]

一般的に「観音さま」として親しまれている広く信仰された仏です。衆生をくまなく見通し、自在に救済し守護しています。その姿は、頭髪を結い上げ、頭の宝冠に阿弥陀仏の化仏を置いています。顔は慈愛に満ちあふれた顔立ちです。上半身を条帛で覆い、下半身に衣をつけています。身体には胸飾りや腕釧などの装身具で飾り、左手に半花の蓮華を持ち、右手は与願印を結んでいます。衆生に満ち溢れる救済の請願に応じるために三十二の姿に変えます。

[千手観音菩薩]

合掌している両手のほか、左右に二十手づつ、合わせて四十の手を持っています。一つの手が二十五の救いを施し、四十の手で千の救いを施すものです。すべての救いに対応するために、四十の手すべてが、持ち物を持っているとされます。すなわち、身の回りの困難や煩悩を取り除き、身に危害をおよぼす者や誘惑などの悪い道にそれた者を正しい道に導く力があります。また、愛情に深く働き、幸福を増進する力も具えています。すなわち、千の慈眼と千の慈悲で衆生を救済する観音です。

[如意輪観音菩薩]

聖観音の変化観音である如意輪観音菩薩は、衆生の願いを意の如くにかなえる如意輪宝珠を持ち、後背に輪を背負っています。この輪は、仏の智恵を世に広め衆生を救うことを表しています。本地域では月待供養のうち、十九夜待、二十二夜待の主尊として単体(独尊)で造立される事例が多いです。また、墓標仏として共同墓地などにも散見されます。

[馬頭観音菩薩]

馬の労役に伴う供養と深く結びついた観音菩薩です。頭の上に馬の頭顔部を乗せている特徴です。街道沿いや峠に造立することが多く、本地域に多くが分布しています。他に、牛の頭顔部を頭に乗せた牛頭観音菩薩も同じ意味合いで存在します。

[地蔵菩薩]

頭を丸めた僧侶の姿で「おじぞうさま」として親しまれている菩薩です。一つの説によれば、釈迦如来が亡くなった後、弥勒菩薩が次の仏になる間、地蔵菩薩が地獄から六道を巡り、閻魔王などに姿を変化させ人々を救済するといいます。
この地蔵菩薩信仰が江戸時代に広く庶民に広まった背景に、現世利益である延命地蔵、とげぬき地蔵、水子地蔵、子育地蔵など様々な地蔵菩薩が建立され、共同墓地の入り口には六地蔵が祀られています。この地蔵菩薩信仰そのものは、平安時代後期まで遡るとされています。

[役行者]

舒明天皇6年に大和国に生まれ、生駒山、熊野山、葛城山などで修行した呪術者です。平安時代中期以降に盛んになった密教と、山岳信仰が習合した修験道の開祖でもあります。その像容は、袈裟衣、頭巾、高足駄の姿で右手で錫杖、左手に経巻または鉄鉢を持ち、岩座に立つか、腰をかける場合があります。時には、前鬼、後鬼を従う場合があります。

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