山菜
黒崎裕一郎の時代小説に『江戸御金蔵破り』があります。この小説の主人公藤岡藤十郎が、吉原へ登楼する場面で、山海の珍味として「塩ぜんまい」が出てきます。
江戸へ送られた山菜
江戸勤めの侍にとって、ゼンマイ、ワラビは故郷の味覚でした。延宝五年(一六七七)十一月、魚沼郡から高田藩江戸屋敷に、台所用のカタクリ粉八升五合、干しゼンマイ五升、漬けワラビ二樽が送られています。同年十二月には、同じく高田藩江戸屋敷から漬けワラビ四十八樽の注文があり、堀之内の宮丹十郎が代金を受け取っています。
江戸屋敷の糸魚川藩主は、山菜が好きで、良い香りのアンニンゴ(ウワミズサクラのつぼみ)の塩漬けを、正月用の珍味として求めています。
「ぜんまいで得意を廻る縮売り」
越後の縮商人は、得意先にゼンマイを進物としていました。縮とゼンマイは、江戸の川柳に詠まれるほど有名でした。湯沢には、近在からゼンマイを買い付ける問屋が数件ありました。米屋喜左門もその一人で、ゼンマイ*を十日町の加賀屋に卸していました。加賀屋は、縮荷と一緒に江戸へ送っていたのです。
ところで、江戸での行商には、株つまり大名屋敷や大店へ出入する権利が必要でした。宝暦十四年(一七六四)、塩沢組中村の次右衛門は、松之山組東浦田村の彦三郎に縮・ぜんまいの商株を十五両で売り渡しています。
ゼンマイ
米屋喜左門は、加賀屋に八十八貫匁のぜんまいを卸し、諸費用こみで九両二朱を請求している。
山川の幸と本陣・脇本陣の料理
本陣・脇本陣*には、大名や奉行、代官などが休泊しました。食事の魚には、いわな、やまめなどが、山菜では、ぜんまい、わらびが、しばしば膳にのぼりました。近在でとれる山川の幸が料理されたのです。
本陣・脇本陣
公用の宿。宿泊費用は、支給されたが、それ以上の支出であった。一般の旅人も泊めた。
ぜんまい小屋
ゼンマイは、山中に小屋を掛けて泊まり込んで収穫しました。四月の節句のころ、凍みた雪を踏んで山に入ります。食料は、みそ、塩、米、クジラ、干しニシンを持参し、四、五十日間泊まり込み、三人で七〇貫位(約二六三キログラム)を干し上げるといいます。