清流の恵み
初鮭は将軍家へ
江戸の珍味三鳥二魚の二魚は、カツオとアンコウです。この二魚に劣らぬ人気が、サケでした。
初サケは、はつなといい、坂戸城主の堀直竒は将軍家に献上したと伝え、長岡藩主牧野家も元和の頃から将軍家に献上しています。牧野家では、一番鮭を納めた者に三石、二番に二石、三番に一石五斗の米を与えました。初サケは、早馬で江戸に送られ、大名も許されなかった夜間の関所も、この鮭だけは例外でした。
三国峠を越えた鮭と鱒
寛文十一年(一六七一)、新潟でサケがたくさん獲れ、この年三千駄(馬三千頭)の鮭荷が三国峠を越えています。各地の商人が買い付けに走り、利益を上げました。翌十二年は、サケの水揚げは少なく、その上雪が早く降ったため馬足が止まり、千駄の鮭荷が人に担がれて峠を越えました。
鮭とともに、マス*も峠を越えました。延宝二年(一六七四)、マスは不漁で、やっと三十駄が江戸に送られただけで、高値を付けました。
マス(サクラマス)
ヤマメと同種で、ヤマメは陸封型、サクラマスは海に下り、川を遡上する。
草津温泉へ岩魚を売る秋田マタギ
牧之は、秋山の湯本(栄村)で、秋田マタギから岩魚を草津に売りに行く話を聞いています。
「ちょうど、秋山と草津温泉の真ん中あたりに泊まる小屋がある。そこで一尺もあるイワナを一度に数百匹も釣り、草津の湯治場に売りに行く。魚が釣れないときは、鹿や熊を獲り、肉を塩漬けにして売る。ある晩、川原で石を枕に寝たところ、起きてみると狼が数十頭通った足跡が残っていて、ぞっとした。」と危険と隣り合わせの話でした。
熟鮓(なれすし)
新編会津風土記には、魚野川では、イワナ、ヤマメ、カジカ、ハエ(ハヨ)、鮭、鱒、アユが、信濃川では、鮭、鱒、フナ、アユ、八目ウナギを産出するとあります。利根川上流では、鱒、イワナ、ヤマメ、クキ、カジカ、ウナギがとれます。
イワナやカジカなどの魚がたくさん獲れると、熟鮓を作りました。寸胴形の桶に笹*の葉を敷き、塩漬けした魚・ご飯・セリ・笹の葉を交互に漬けこみ、そして、その上に重い重石をのせて発酵させます。これに糀が加わると発酵が早く進むとともに、旨味が増します。山沿の村の珍味です。
また、串に刺した素焼きの魚を、いろりの上の火だなや藁のつっとこ*に刺して保存しました。
笹
防腐効果がある。最近は、飾りとしてプラスチックのものが多い。
つっとこ
ワラの苞。持ち帰り料理の入れ物、雪納豆など多様な利用がある。