雑煮・赤飯のルーツを探る
雑煮と縄文の食
雪国の雑煮は、大根などの野菜と鮭などの魚を煮こんだ具だくさんの料理です。
煮るという料理方法は、人類の歴史の中で、土器によってできるようになりました。土器が作られるようになったのは、縄文時代です。それまでの「焼く」に加えて煮ることをできるようになり、食生活が豊かになった時代です。発掘された縄文時代の住居跡を見ると、土器で煮込んだザッコ煮を、家族が炉を囲んで食べた様子が想像され、元旦の朝に家内そろって雑煮を食べる現代の光景と重なります。正月様の歌に出てくるカキ、クリ、トチも縄文時代からの食材です。
赤飯とこしき(甑)
米を食べるようになったのは弥生時代からです。このころは、米を、現在のように炊く・煮るではなく、こしき(甑)で蒸していました。いわゆる強飯*です。
室町時代の越後小泉荘(岩船)国人領主色部家の年中行事には、正月三日に姫直しの食事があります。三が日の間、祝いの食事として強飯を食べてきたものを、三日の晩から柔らかい姫飯*に変わるのです。
年中行事や冠婚葬祭の赤飯も強飯で、小豆で染まった色は、古代米の赤米のようです。
強飯(こわいい)
姫飯(ひめいい)
甑で蒸した飯が強飯、釜で炊いた飯が姫飯。
けんさん焼き
北越雪譜に「吹雪に焼き飯を売る」という話があります。
焼き飯とは、おにぎりの表面をあぶったもので、携行食でした。おにぎりでも、少しぜいたくなものがありました。炊きたてのご飯を、小形の握り飯にして、それをワタシにのせて焼き、ショウガ味噌、ゴマ味噌を塗って、再びワタシの上にのせて焼いて食べる。これを、けんさん焼きといいます。このけんさん焼きを茶碗に入れ、大根おろし汁をさし、熱湯を注いで、くずして食べる、これを浪人雑炊といいます。
名前の由来は、戦国時代に剣先に刺して焼いたので、剣さきがけんさんになったという説や、献残焼き、献歳焼きが転訛したものとも言われています。
切火
江戸時代、元旦の朝は、家長が若水*を汲み、塩または塩水で家内を清めます。年の最初の火は、切火で起こし、豆木に移しました。この切火は、火打石と火打金を、打ち合わせて起こした打火のことです。切火は鑚り火とも書き、これはヒノキなどの堅い板に堅い棒を揉みこんで起こした火のことです。古い時代の火起こしを連想させます。
若水
新年の最初に井戸や川から汲む水。字あまり松坂に「元日や鶴の声するあの井戸つるべ亀にくみこむ若の水」の文句がある。