道の歴史を知る
「道の歴史を知る」ということは、「土地の歴史を知る」ということです。人が通るところが道になり、それが整備されて街道となり、さらに利用されて周辺が開発され、村や町が発達してきました。下記の図のように、地域のことを全く知らない旅の僧侶が通った道があるということは、その道が発達していて、その周辺には多くの家や村があり、経済活動をしていたということです。ある時代に、ある道の周辺に、人が住み、文化・歴史を育み、さらにその文化・歴史が人を育んで、それを繰り返していきます。「道の歴史を知る」ということは、「土地の歴史を知る」ということで、それはすなわち「今この土地に住む人を知る」ということです。
天用院が通った行程が三国から越後府中に行く「大手口」と言われたものです。その他に脇街道が数種類あったと考えられますが、記録が残っていないため、不明な点は推定し、点線で示しております。また醍醐寺の僧が通った道は基本的に上杉謙信が永禄4(1561)年に整備した「上杉軍道(松之山街道)」ですが、途中関東に出陣する上杉軍と鉢合わせしたために回り道をしたと考えられます。