信越国境をめぐる街道と山城・古刹
新潟県津南町・長野県栄村
信越国境に位置する新潟県津南町と長野県栄村には、千曲川・信濃川流域の両岸に北国街道の脇街道として「北国脇往還」があります。地元では、善光寺へ続く道として、「善光寺街道」と呼ばれ、道沿いには、山城や古くから続くお寺が点在しています。
中津川流域には、秘境・秋山郷を通り、草津温泉へと続く「草津街道」があり、関東への道でもあり、文人鈴木牧之や幕末の志士佐久間象山が通った道として知られています。
今井城跡
今井城跡は、信濃川の右岸、中津川の左岸の段丘面(米原Ⅱ面)の突端に築かれた中世の城跡です。
源平時代の木曽義仲の臣下、今井兼平によって作られた城と伝えられ、戦国時代には、上杉氏の番城として戦国時代末期まで使用されたと言われています。
この城には、上杉謙信の部下であった金子氏や小森沢氏がいたとされています。
深い堀や本郭・二の郭、橋台、馬出、畝状竪堀の跡など、当時の様子が残っています。
津南町大字上郷大井平/新潟県指定史跡
北国脇往還(善光寺街道)
北国脇街道は、信濃川沿いを通る道で、地元では善光寺街道と呼ばれています。
これは、長野県善光寺へと続く道として、信仰の道とも言えます。
道は信濃川両岸にそれぞれあり、今も寺社やお堂、石造物、道標が残り、往時の様子を残している場所があります。
草津街道・秋山郷 見玉不動尊
草津街道は、中津川沿いの両側に草津温泉まで続く道です。直線距離では、新潟府中(高田)から関東へと抜ける最も近い道であり、中世の軍道と考えられています。道中には、秘境「秋山郷」が広がり江戸時代、鈴木牧之が『秋山記行』に旅して描いた見玉不動尊、猿飛橋、湯本温泉(切明)などの風景を残しています。
赤沢城跡
赤沢城跡は河岸段丘の北辺の崖端にあり、下を流れる信濃川までの標高差は約200mです。
発掘調査により37軒の建物跡や堀、虎口が確認され、15世紀初めから16世紀の初頭の貿易陶磁、瀬戸美濃焼、珠洲焼、カワラケ、金属製品などが出土しています。
津南町大字赤沢字下城
仙当城
仙当城は、二つの川が合流する段丘上の先端に位置し、中世、市河氏による拠点的な山城です。
現地には、山の上に幾枝もの掘切や郭を持つ広大な、山城が広がっており、当時の土木技術の高さを伺うことができます。
下水内郡栄村堺月岡
志久見館(内池館)
市河氏の拠点となった館があった場所です。現在は、水田が広がっていますが、広大な平らな土地や区画から当時の様子を伺う事ができます。
志久見川を挟み対岸には宮野原城跡を望む事ができます。
この場所からその後、市河氏の館は、現在の常慶院の場所へと移ったとされています。
下水内郡栄村志久見
北野天満宮
学問の神様である菅原道真を祀った天満宮で、多くの信仰を集めており、江戸時代には多くの参拝者が訪れている絵図が残されています。
また、南側の街道は、野沢温泉へと続く古道が残されています。
下水内郡栄村堺北野
常慶院
常慶院は、曹洞宗の古刹で、山門は大規模な造りとなっています。また、この場所には、かつてこの地を支配した市河氏の城館があった場所と伝わっています。
下水内郡栄村堺箕作
吉祥寺
吉祥寺は、津南町寺石地区に所在する曹洞宗のお寺です。平安時代末期とされる薬師如来像や大同元年と彫られた鰐口が安置されています。
津南町上郷寺石/津南町指定文化財
善玖院
善玖院は、新田義貞ゆかりの脇屋義氏が開祖と由来が伝わる曹洞宗のお寺です。
ご本尊の釈迦如来像は、鎌倉時代末期~室町時代の作とされています。
津南町外丸/津南町指定文化財