つもの盆・歯がためと栗・串柿
もの摘みなされ
秋山郷は、今も昔も人を惹きつける魅力があります。秋山を訪れた鈴木牧之が、前倉の平左衛門に立ち寄った時、「もの摘みなされ」と白い盆がさし出されました。盆の中には、勝栗・柿・昆布・米少々・松葉の五品がのっていました。主人は、「向うへいりんさい」といい、客は手で拝んで受け、「つんでくださる。過分でござる」とこたえます。この来客へのおもてなしが「つもの盆」*です。
つもの盆
一般には、蓬莱盆(ほうらいぼん)、江戸では食摘(くいつみ)のことで、年始客に出した。
年始客にオツモネ盆
松之山郷では、正月の年始客が来ると、米・松・昆布・柿・栗の入った盆を出す、これをオツモネ盆、またはウツ盆といいます。
江戸時代の浦佐組(旧大和町周辺)では、盆に米を盛り、その上に杉、豆から、きんかん、栗、みかん・柿・かや等を飾り立て、年始客に出しました。正月の玄関飾りは、松でなく杉でした。
塩沢組(湯沢町・旧塩沢町)では、手掛け、またはつもの盆といい、松の枝を昆布で結び、盆にのせて年始客に出し、客は片手を出していただく風情をしました。家により、松、竹、熨斗、昆布、栗、柏の実、みかん等を三方または盆で出しました。
歯がため
元旦には、歯がためといって、銘々の膳に串柿・勝栗が配られ、これを食べてから雑煮をいただきます。
魚沼市竜光では、勝栗は悪魔に勝つ、固い物を食べて歯を丈夫にする、串柿は、福をかき集めると伝えています。
水沢謙一*が入広瀬で聞き取りをした『いりひろせ物語』に「正月様の歌」があります。その歌詞はこうです。
池の峠の腰根まで、何持ってござった、雪のようなマンマ(白飯)に、紅のようなトト(魚)に、油のような酒に、糸のたつナット(納豆)に、毛のようなナマスに、ボヤボヤの煮もん(クワイ)に、クリにカキにトチモチに、松の木を腰にさして、ダンゴの木を杖にして、ござった。
栗・柿・栃餅は、正月様が持ってくるご馳走でした。
水沢謙一
(みずさわ けんいち 1910―1994)
民話採捕者、代表作「越後の昔話」他
勝栗
勝栗は、栗を乾燥させて、外皮をむき、臼の中で搗いて渋皮を除いたものです。搗は「かち」と発音し、勝と重なるので、出陣や祝い事に欠かせない食べ物となりました。勝栗にする栗は、栽培種の大きな栗でなく、山栗が良いとされました。粉にした栗は、高値で取引されたといいます。
串柿で身上が立つ
勝栗とともに、つもの盆・歯がために供されるのが、串柿です。みなかみ町では、大正時代、各家で三〇〇円位の収入があり、柿で身上が立つといわれた。砂糖が高価な時代、干柿は、あまーいスウィーツ、まさに果子(菓子)でした。柿は、皮をむき、串に刺して乾燥させることから、干柿を串柿といいました。同じ雪国でも寒い乾燥した気候が、干柿をさらに甘くしました。