市場とてちぢみの市あるは、まへにいへる堀の内十日町小千谷塩沢の四ケ所也。初市を里言にすだれあきといふ。雪がこひの簾の明をいふ也、四月のはじめに有。堀の内よりはじむ、次に小千谷、次に十日町、次に塩沢、いづれも三日づつ間を置てあり。年によりて一定ならず 右四ケ所の外には市揚なし。十日町には三都呉服問屋の定宿ありて縮をここに買。市日には遠近の村々より男女をいはず所持のちぢみに名所を記したる紙札をつけて市場に持より、その品を買人に見せて売買の値段定れば鑑符をわたし、その日市はてて金に換ふ。およそ半年あまり縮の事に辛苦したるは此初市の為なれば、縮売はさら也、ここに群るもの人の波をうたせ、足々を踏れ、肩々をする。万の品々もここに店をかまへ物を売る。遠く来りたるものは宿をもとむるもあれば、家毎に人つどひ、番具師の看物薬売の弁舌、人の足をとどめて錐を立べき所もあらぬやう也。此初市の日は繁花の地の賑わひにもをさをさ劣ず。右にいふ四度の市をはりてのちも在々より毎日問屋へ来りてちぢみをうる、又ちぢみ仲買のもの在々にいたりてもかふ也、六月十五日迄を夏ちぢみといひ十七日より翌年の初市までを冬ちぢみといふ 縮の精疎の位を一番二番といふ。価の高下およそは定あれども、その年々によりてすこしづつのたがひあり。市の日にその相場年の気運につれて自然さだまる。相場よければ三ばんのちぢみ二ばんにのぼり、二ばんは一ばんに位す。前にもいへるごとくちぢみは手間賃を論ぜざるものゆえ、誰がおりたるちぢみは初市に何程に売たり、よほど手があがりたりなどいはるるを誉とし、或はその伎によりて娶にもらはんといはるる娘もあれば、利を次にして名を争ふ。このゆえに市にちぢみを持ゆくは兵士の戦揚にむかふがごとし。さてちぢみの相場は大やうは穀相場におなじうして事は前後す。年凶すれば穀は上り縮は下る。年豊なれば縮は上り穀は下る。豊凶の万物に係る事此一を以て知るべし。されば万民豊年をいのらざらめや。(北越雪譜 巻之中より)