雪国の風土とフード

命がけのロマン熊猟


古今東西の文豪も、熊猟に魅了されました。

秋山マタギ/津南町教育委員会提供

『越後紀行』十辺舎一九*


一九は、熊狩りを見ようと清水を訪れました。
狩人は、総身を皮でつつみ、腰には短刀、手には槍の出で立ちである。出羽より来たといい、話す言葉が違って、わからない。一九が木に上ると、熊を追い込む声が聞こえ、太鼓が鳴り響き、鉄砲の音が耳をつんざいた。ませ垣まで来たところを、猟師が鉄砲と槍で仕留めた。ところが、鉄砲傷を負った大きな手負い熊が現れた、熊も必死である。猟師は、やっとのことで仕留めた。
一九は「命懸けの渡世、見ているだけでもこわい」と結んでいます。

十辺舎一九
(じっぺんしゃ いっく 1765―1831)
江戸後期の戯作者、代表作「東海道中膝栗毛」他。

「秋山記行」鈴木牧之


湯本の宿泊を一晩のばして、牧之は猟師の話を聞きました。
猟師は熊の毛皮を背中にはおり、熊の毛皮の煙草入れを下げ、大煙管で煙草をふかした。猟師は三十歳くらいで、秋田城下から三里離れた山里が故郷といい、草津と秋山を行き来していた。彼らは鍋の二つ三つ、椀は人数分と米・塩だけで深山に三十日位寝泊りする。着るものは、猪や熊の毛皮、そして寝茣蓙が一枚。小屋は、又木を二本立て、桁を渡し、大木の皮を屋根にする。夏は蹴網という罠を仕掛けるという。

「伊藤左千夫への手紙」長塚節*


長塚節が伊藤左千夫*に出した明治四十一年九月三日付の手紙に、猟師藤ノ木長右衛門のことが書かれています。
長右衛門は、幕末に大赤沢に土着した秋田マタギ上杉忠太郎の子である。十三歳にして、熊狩りに加わり、生涯に一〇〇頭の熊を突いたという。六十四歳の時、熊に手足の骨を食い折られるほどの傷を負い、引退した。

長塚節
(ながつか たかし 1879―1915)
歌人・小説家、代表作「土」他。

伊藤左千夫
(いとう さちお 1864―1913)
歌人・小説家、代表作「野菊の墓」他

山立根本之巻


山立根本ノ巻/津南町教育委員会提供

この地域の猟師は、古くから秋田マタギの系譜にあたると言われています。秋山の大赤沢には「山立根本ノ巻」という熊獲りの免許皆伝書が伝わっています。

ケンギ*


猟師は、山に入る時に、山神(十二様)に祈りを捧げます。清津川左岸の山中では、十二様は巨大なブナの木で、大小無数の鉄の剣が奉納され、この木はケンギ(献木)と呼ばれていました。

ケンギ

大場のケンギ
津南町教育委員会提供

熊の値段


肉は、それぞれの集団のしきたりによって分配された。皮と胆は売りものでした。干し上げた胆は、湯之谷に伝わる話では、上品は金と同量の重さで取引されたといい、現在も、ほぼ同じ相場といいます。

ベエ猟


雪国には、ベエ猟があります。雪の時節、枝やワラで作ったベエを投げて、ノウサギや山鳥が、雪穴に逃げ込んだところを捕まえるのです。ベエが空を切る音をタカの羽音と勘違いして、逃げ込む習性を利用した猟です。