雪国の風土とフード

塩鳥


夕鶴と魚沼


木下順二*の代表作に「夕鶴」があります。各地の残る罠にかかった鶴を助ける「鶴の恩返し」の昔話を題材にした戯曲です。鈴木直*の『雪の伝説』には、魚沼の「鶴の恩返し」が紹介されています。
今でこそ美田が広がっていますが、魚沼郡は池や湿地が点在し、かつては沼のようでした。この沼に鶴が飛来していたことを、昔話は物語っているのです。

木下順二
(1914―2006)
劇作家、代表作「夕鶴」「子午線の祀り」他

鈴木直(すずき なほし)
代表作「雪の伝説」他

八木沢番所の改品目


江戸時代の初め、三国街道の八木沢(湯沢町)に関所が置かれ、人と荷物の改めが行われていました。その改品目の中に、鶴・白鳥・雁・鴨・鷺がありました。寺石・宮野原(津南町)と穴沢・大白川(魚沼市)の関所では元禄四年から鶴と白鳥が改品目に加えられました。鶴、白鳥を始めとした塩漬けした鳥の肉が関所を通過したのです。その荷物を塩鳥といいました。魚沼郡は、鶴・白鳥・雁などこれら水鳥の生息地で、これら水鳥を生業としていた猟師がいたのです。後に鶴と白鳥が減少したため、幕府は狩猟禁止の禁鳥にし、塩鳥は雁・鴨の類となりました。

戦国大名が好んだ白鳥


白鳥は、古くは日本書紀*の仲哀天皇紀に越国が献上した記述が見え、和南津(長岡市旧川口町)には垂仁天皇*の時代に鵠(白鳥)を献じた伝説が残っています。長岡市白鳥は平安時代の古志郡白鳥荘と伝え、古志郡八幡官衙遺跡(旧和島村)からは「白鳥」墨書の木簡が出土しています。
下って戦国時代、東国の領主は古河公方*足利義氏へ年賀の品を進上していました。その中には「御太刀並白鳥」など、白鳥が目立ちます。戦国大名が白鳥を好んだのは、訓読みで城取(しろとり)に重なるからでしょう。

日本書紀
奈良時代に作られた歴史書

垂仁天皇
伝承上の天皇

古河公方
室町時代、古河(茨城県)にいた足利氏。公方は幕府の要職名。

「雁の代見立」と猟師


北越雪譜/雪ン堂の図(鈴木牧之記念館提供 以下同じ)

北越雪譜の中に、雁猟の話があります。春、水辺から雪が解けてくると、水鳥が餌を探しにやって来ます。雁は餌のある所を見つけると、まず二、三羽が先に下りて、目印に糞を残していきます。これを里の言葉で「雁の代見立」といいます。猟師は、この糞を見つけると、雪でお椀を伏せた形の洞(雪の堂)に隠れ、待ち伏せて狩るのです。
十日町の加賀屋、塩沢の高田屋などの商家では、特別な日の献立に、「とり」「きじのとり」が見えます。江戸時代、鶏は時を告げる神聖な鳥とみなされ、食べる習慣はありませんでした。商家が食べていたのは、雁、鴨、雉の肉です。昭和初期の大巻村(南魚沼市)でも早春に鴨の肉を食べていました。

幻の食材 ツル


ツルは、江戸時代でもすでに貴重な鳥で、珍味の代名詞三鳥二魚の筆頭にあげられていました。ツルは、肉は汁・せんば・酒浸、内臓は吸い物に、骨は切り傷、めまいの薬でした。味もさることながら香も良かったようです。ツルの料理の時は、ツルの脚の筋を数センチメートル切って、二本ほど置いて証明としました。