越後縮
縮は越後の名産にして普く世の知る処なれど、他国の人は越後一国の産物とおもふめれど、さにあらず、我住魚沼郡一郡にかぎれる産物也。他所に出るもあれど僅にして、其品魚沼には比しがたし。そもそも縮と唱ふるは近来の事にて、むかしは此国にても布とのみいへり。布は紵にて識る物の総名なればなるべし。今も我があたりにて老女など今日は布を市にもてゆけなどやうにいひて古言ものこれり。東鑑を案るに、建久三壬子の年勅使皈洛の時、鎌倉殿より餞別の事をいへる条に越布千端とあり。猶古きものにも見ゆべけれど、さのみは索ず。後のものには室町殿の営中の事どもを記録せられたる伊勢家の書には越後布といふ事あまた見えたり。さればむかしより縮は此国の名産たりし事あきらけし。愚案に、むかしの越後布は布の上品なる物なりしを、後々次第に工を添て糸に縷(より)をつよくかけて汗を凌ぐ為にしじませ織たるならん。ゆえにしじみ布といひたるを、はぶきてちぢみとのみいひつらん歟。かくて年歴るほどに猶工(たくみ)になりて、地を美くせんとて今の如くちぢみは名のみに残りしならん。我が稚かりし時におもひくらべて見るに、今は物の模様を織るなど錦をおる機作にもをさをさ劣ず、いかやうなるむづかしき模様をもおり、縞も飛白も甚上手になりて種々の奇工をいだせり。機織婦人たちの伶俐なりたる故ぞかし。