秋山の古風(後編)
(たれむしろをする事堂上にもありて古画にもあまた見えたる古風なり)勝手の方には日用の器あまたとりちらしたるなかに、ここにも木鉢三つ四つあり、囲炉裏はれいの大きく深きの也。さて用意したる米味噌をとりいだし、今朝清水河原村にてもとめたる舞茸にここの芋などとりそへて、案内が料理すとて雷盆をといへば、末の娘が棚のすみよりとりいだしたるを見れば、常にはつかはずと見ゆるすすけたるなり。のちにきけば此秋山にすりばちのあるは此家と此本家のみとぞ。此地にて近年豆を作りはじめて味噌をもつくれども、麹を入る事をせず、ほだて汁にするゆえすりばちはもたざるとぞ。さて此家にも別に竈(かまど)はなくみな炉にてものを煮る也。やがて夜もくれければ姫小松を細く割たるを燈とす、光り一室をてらして蝋燭にもまされり。案内が調じたるものそろはぬ碗にもり、山折敷にすえていだせり。あるじがもてなしとて、芋と蕪菜を味噌汁にしたるなかにいぶかしきものあり、案内がさし心えていふやう、そは秋山の名物の豆腐也といふ。豆を挽事はせしが糟を灑ざるゆえ味なし。喰をはりて後あるじがいふ、茶の間の旦那(秋山のことばに人を敬して茶の間の旦那といふ、茶の間をももちし人といふ事にや)どつふりに入らずといふ、此ことばさとしがたくて案内に問へば、居風呂に入りたまへといふ事也。すえふろをどつふり又は居り湯ともいふ(秋山にすえふろ桶をもちしは此家と此本家とばかり也とぞ、此地の人たまたまは冬もかかりゆをつかふ、そとよりかへりても足をあらふ事をせず、かのむしろのうへなれば斯すらん)といへり。ふろに入りしにつねにかはる事なし、道のつかれもわすれてうれしく元の炉の横座にかえりし(いろりはよこを上座とするは田舎のならひなり)に、ここには銅鑵もありしとて、用意の茶を従者が煮たるを喫、貯たる菓子をかの三人の娘にもとらせければ、三人炉に腰かけて箕居、足を灰のなかへふみ入れ珍がりてくわしを喰ふ。炉には柱にもなるべき木を、惜気もなく焼たつる火影に照すを見れぱ、末のむすめは色黒く肥太りて醜し。をりをり裾をまくりあげて虫をひらふは見ぐるしけれど恥らふさまもせず。二人の姉は色白くして玉を双べたる美人也、菓子を喰ながら顔見あはして打えみたる面ざし、愛形はこぼるるやう也。かかる一双の玉を秋山の田夫が妻にせんは可憐、琴を薪として鼈(すっぽん)を煮るが如し。主人は里地の事をもよく知りて話も分る翁ゆえ所の風俗をたづねしに、そのもの語りたるあらましをここに記す。

◯此地近年公税を聞くにいたれども、米麦を生ぜざるゆえ僅の貢をなすにいたりて、信濃と越後との他の村名主の支配をうけ、旦那寺をも定めたれど、冬は雪二丈余(約6m)もつもりて人のゆききもたゆるゆえ、此時人死すれば寺に送る事ならざれば、此村に山田を氏とする助三郎といふものの家にむかしより持伝へたる黒駒太子と称する画軸あり、これを借りて死人の上を二三べんかざし、これを引導として私に葬る。寺をさだめざるいぜんはむかしよりこれにてすませたり。(秋山は山田と福原の氏のみ也、右の助三郎は山田の総本家也、太子の画像といふは太子のやうに見ゆるがくろき馬にのりて雲の中にあるきぬ地のよしいへり、牧之助三郎が家にいたりかの一軸を見んとこひしが、正月七月のほかをがませずとてゆるさざりき。)
◯此地の人、上食は粟に稗小豆をも交て喰ふ。下食は粟糠(あわぬか)に稗乾菜(ひえほしな)などまじえて喰ふ、又杤の実を食とす。
◯婚姻は秋山十五ケ村をかぎりとして他所にもとめず。婦人他所にて男をもてば親族不通して再び面会せざるを、むかしよりの習せとす。
◯秋山中に寺院はさら也、庵室もなし。八幡の小社一つあり。寺なきゆえみな無筆也。たまたま心あるもの里より手本を得ていろはもじをおぼえたる人をば物識とて尊敬す。
◯山中ゆえ蚊なし、蚊屋を見たるものまれ也。
◯深山幽僻の地なれば蚕はもとより木綿をも生ぜざるゆえ、衣類に乏しき事おしてしるべし。
◯山にいらといふ草あり、その皮を製して麻に替て用を為す。
◯翁がかくかたりし時牧之いらの形状をくはしくきかざりしが、のちに案るにいらとは蕁麻(いらくさ)の事なるべし、蕁麻は本草に見えたる草の名也。麻の字に熟したれば麻に替ても用ふべきものなるべし。されど毒草なるよし見えたり。又山韮(やまにら)といふも同書に見ゆ、これも麻のかはりにもすぺきもの也。にらをいらといふにや。草の形状を聞ざりしゆえさだめがたし。
◯秋山の人はすべて冬も着るままにて臥す、かつて夜具といふものなし。冬は終夜炉中に大火をたき、その傍に眠る。甚寒にいたれば他所より稿(わら)をもとめて作りおきたるかますに入りて眠る。妻あるものはかますをひろく作りて夫婦一つかますに寝る。
◯秋山に夜具を持たる家は此翁の家とほかに一軒あるのみ。それもかのいらにて織たるにいらのくずを入れ、布子のすこし大なるにて宿り客のためにするのみ也とぞ。牧之ここに一宿しし時此夜具に臥したるが、かのいとくずもすそにおちてあはせの所がおほく身にそゆべきものにはあらず。
◯稿にとぼしきゆえ鞋(わらじ)をはかず、男女徒跣(はだし)にて山にもはたらく也。
◯人病あれば米の粥を喰せて薬とす。重きは山伏をむかへていのらす。病をいのらする事源氏にも見えたる古風也。
◯鏡を持たる女秋山中に五人ありとぞ。松山かがみの故事おもひあたれり。
◯此地の人すべて篤実温厚にして人と争ふことなく、色慾に薄く博奕をしらず、酒屋なければ酒のむ人なし。むかしよりわら一すぢにてもぬすみしたる人なしといへり。実に肉食の仙境也。
◯かくて次の日やぶつの橋といふをわたりて湯本に宿り、温泉に浴し、次の日西の村々を見て上結東村に宿り、猿飛橋をわたり、その日見玉村にやどりて家にかへれり。さまざま記すぺき事あれども文多ければのせず。秋山記行二巻を編して家に蔵む。
◯杤(とち)の実の食方翁に聞しをここに記して凶年の心得とす。杤の実は八月熟して落るをひろひ、煮てのち乾し、手に揉みてあらき篩(ふるい)にかけて渋皮をさり、簀(す)に布をしきて粉にしたるをおき、よくならし水をうちてしめらせ、しきたる布につゝみ水にひたしおく事四五日にしてとりいだし、絞りて水をさりて乾しあぐる、その白き事雪のごとし。是を粟稗などにまぜ、又は杤ばかりも食とす、又餅にもする也。もちにする杤は別種なりとぞ 楢の実も喰ふ、そのしかたは杤に似たりとぞ。
◯此秋山にるいしたる山村他国にもあるよしを聞たれぱ、珍しからねどしたしく見たるゆえここに記せり。
◯秋山の産物、木鉢まげ物るい山をしきすげ縄板るい也。秋山に良材多しといへども、村中をながるる中津川屈曲深き所浅き所ありて筏をくだしがたく、又は牛馬をつかはざれば良材を出しがたく、財をうる事難ければ天然の貧地也。